219海の底のダイヤモンド『不妊と双極性障害と糖尿病の日記』

双極性障害を抱え不妊治療を乗り越えた糖尿病ママの日々を書いています。

新しい土地へ

おはようございます。

 

ここ最近、秋の気配がしますね。

大気が不安定で私の体調も不安定です。

皆さんの体調は大丈夫でしょうか?

 

さて、前回は、やっと、婚約者が現れまして、治療を始めました。

けれど、薬が強すぎて会社で意識が飛び失態をしてしまい会社をクビになってしまったところまでお話しました。

 

その後、私の過食嘔吐鬱状態は酷くなりました。

病院の薬も更に増えました。

 

実家にも居ずらくなった私は、婚約者に相談しました。

そして、親にも話し、段取りを取って一緒に住むことになりました。

 

実家より車で1時間くらい下った静かな町です。

 

私は、環境が変わったせいか精神的に少し落ち着きました。

 

仕事もプレッシャーなくゆっくりと探すことができました。

すると、間もなく新しい職場が決まりました。

 

会社には、うつ病の事は隠していました。

 

仕事は、正社員ではなく派遣社員でした。

責任も重いものでなく残業もなかったので気が楽でした。

 

しかし、入ってみると、人間関係が複雑でした。

 

「女の世界」という感じで、何ともやりづらかったです。

 

入れ替わりが激しく1年もすると私はお局さんのようになっていました。

 

丁度、その頃、鬱状態が激しく、気分を上げる新しい薬を出してもらっていました。

 

飲み始めて2日くらいした時の出来事です。

 

会社のグループ内でイザコザがあり、仲裁に入った私は、かなりの勢いで仲裁してしまって、皆が引いてしまったのです。

普段は物を言う方の人間じゃなかったので、周りは余計ビックリした事でしょう...

私自身も、勢いが止まらなくて困ったくらいです。

分かっているけれど止められないんです。

仲裁と言うよりか、一人でお説教しているといった感じでしょうか...

 

家に帰っても、落ち着きがなく、様子がおかしいので婚約者は、

「次の日にお薬を変えてもらうように病院へ行った方が良いよ」と言いました。

 

翌朝、会社を遅刻して病院へ行くと、待合室で震えがきて倒れてしまいました。

そして、過呼吸になりました。

すぐに、看護婦さん達がきて、処置室に運ばれて、何か注射しました。

 

すると、1秒くらいでスッーと意識と体が戻ってきました。

何の注射か分かりません。凄い効果です!

 

そして、しばらく、奥のベットで寝かしてもらいました。

 

その日は、会社をお休みしました。

 

診察の順番が来て、主治医に経緯を話すと、お薬が変わりました。

でも、診断は「うつ病」で変わりありませんでした。

そして、注射は、1週間に1回必要になるかもしれないと言われました。

「何の注射かは説明がありませんでした。」

 

次の薬を飲んでみましたが、また同じような感じでした。

注射が切れたのか体がサワサワ震えてきます。

 

もう、仕事どころでは、ありません。

 

この前の一件で私は浮いた存在になってしまいました。

せっかく築いた人間関係も薬が招いたもの凄い躁状態で壊れてしまいました。

 

また前回の診察の時と同じような事が起こると怖いので今度は婚約者にも着いてきてもらいました。

婚約者と私は、主治医に不信感を持ち始めていました。

お薬でトラブルを起こすのはこれで2回目です。

 

診察の順番が来て、婚約者と一緒に

「薬の量が多いのではないか?それと、注射は何なのか?」を聞くと、主治医は急に不機嫌になりました。

 

そして、小さな声で、何かブツブツと仰り始めました。

 

私たちには、何を仰っているか聞き取れない音量です。

 

もう、こちらでは、診てもらいたくないと判断した私たちは、紹介状を書いてもらう事にしました。

 

そして、知人に紹介してもらっていた大きな病院へ転院する事にしたのでした。

 

最初のブログで書いたのですが、その転院した病院で初めにできることは、「薬をまず抜く事」でした。

 

これが、もう地獄でした。ジッとしてられないのです。

眠ることもできません。

 

正常ではいられないので、1年以上務めた会社は体調不良を理由に退職をしました。

荷物は、落ち着いてからとりに行く事にしました。

 

また、お薬で会社を辞めなければならなくなった事がとても悔しかったのを覚えています。

 

引っ越してきたばかりの部屋に、ほぼ一人で引きこもっていました。

仕事で婚約者がいない時間が多く不安でした。

ジッとしていられず、ずっと飛び跳ねたり、走り回ったり...

 

お薬が抜けて落ち着くまで、だいたい1か月くらいかかりました。

 

お薬は、大きい病院の物に少しずつ切り替わっていきました。

 

そして、やっと「双極性障害」と診断がつき、正しい治療を受けることができるようになったのです。

 

ここまで読んで頂いて有難うございました。

良い一日でありますように...(#^.^#)

 

 

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