苦しみの日々だった...
おはようございます。
お天気が不安定ですね。
身体が付いていきません。
年齢のせいなのか、持病のせいなのか...
昨日は、娘とお出かけしました。
洋服がもう小さくなったので買いに行く事にしたのです。
お昼になって、外食が苦手な私は、出かけても一旦、自宅に戻ったり、車の中でコンビニ弁当を食べさせたりしていたのですが、そろそろ娘も我慢の限界のようでした。
昨日は、娘がお店で食べたいと言うのでお昼をフードコートで食べました。
糖質制限をしている私は、サラダのみオーダー。
娘は、お子様セットをオーダーしました。
普段、私の昼食は、ささみのお肉やサラダと低糖質パンとか、ナッツと大豆とヨーグルトなど低糖質の物を食べています。
でも、大量の炭酸水と、ある程度の食品の量があるので、お腹がいっぱいになります。
この低糖質の食事は食べた後の罪悪感を無くしてくれて過食嘔吐を防いでくれます。
また、満腹感が心の隙間を埋めてくれます。
さて、昨日は、私の恥ずかしいインド旅の話をさせて頂きました。
笑われた方もいらっしゃるでしょう(/ω\)
インド旅行以降、実家を出て4年間で築いた物、全てが崩壊してしまって、精神的にもの凄く不安定になりました。
4年間支えてくれた彼とも別れ、間借りしていた部屋から出る日がやってきました。
私と荷物を実家まで車で運んでくれると言うので、最後にありがたくお願いをしました。
車中、涙が止まらず仕方ありませんでした。
車で1時間くらいずっと涙が止まりませんでした。
到着して荷物を下ろす時も、流れる涙...
どうしようもなく悲しくて仕方がありませんでした。
別れたくないのに何故こんな風になったのか混乱している自分がいました。
全ては「急激に変わろうとした」からです。
それに気づくまで、数年かかりました。
実家にまた住まわせてもらうようになりましたが、かつての家の雰囲気とは違い、母と私は、以前よりはギクシャクしなくなっていました。
お互いに気をつかって生活しました。
仕事は、休まず行っていました。休むと色々と考えてしまって余計ツラかったからです。
自宅に帰るとまた涙が止まらなくなり、叫んだり、わめいたりしました。
会社帰りにスーパーで大量の食べ物を購入してはまた過食嘔吐を繰り返していました。
夕飯から寝る前までに3回はしていました。
それでも、家族は私を病院へ連れて行こうとはしませんでした。
将来、もしも私の娘が、そんな状況だったら、心療内科へ連れて行く事でしょう。
私の父、母の場合は静観していました。
そんな中、妹が、結婚して実家を出ることになりました。
お祝いしたいけれど、精神的に不安定な私です。
顔が引きつったまま「おめでとう」しか言えず、姉として、結婚式に向けて何も協力してあげられなかったのが今でも心残りです。
充分、痩せているにもっと痩せなければという考えが止まらず、便秘薬の大量使用も始まりました。
強い便秘薬を朝起きて、5錠、ランチ前に5錠、夕飯前に5錠飲んでいました。
ずっと、一日中下痢をしている状態です。
胃にも腸にも食べ物を残していたくない衝動に支配されていました。
異常だから、止めたいけれど止められない...
家族にも友人にもこんな相談できません。
もし、話しても理解はしてくれないでしょう。
病院に行っていればもっと早く苦しみから脱出できたと思います。
でも、この頃は、迷路の中に迷い込んでいる状態でした。
自宅→会社→スーパーに行って買い物→自宅で過食嘔吐→泣き叫く→会社のサイクルです。
そんな、生活が1年以上続いたある日、友人に飲み会に誘われました。
ずっと、塞ぎこんでいても仕方がないので参加してみる事にしました。
そこで、出会ったのが今の主人です。
主人(当時の婚約者)の親友がうつ病だったので、私から言わなくても、精神疾患の人の事が感覚で分かるようでした。
私は、人を信用することが怖くなっていたので、少し距離をおきながら会うようになっていきました。
1年が過ぎて、やっと信用ができるようになりました。
そして、結婚することになりました。
これで、やっと、主人(当時の婚約者)にメンタルクリニック受診をすすめられ行くようになったのです。
以前のブログで書いたのですが、相性の合うメンタルクリニックを探し当てるのも大変でした。
お薬を投与しすぎる病院には参りました。
薬の量が多すぎて会社で意識を失って、パソコンの前に倒れてそのまま、夢遊病者のように会社を出て帰ってしまったのです。
気が付くと何も覚えて無く、自宅で寝ていて、携帯には会社から何度も着信履歴がありました。
この奇行が問題になり、会社をクビになってしまいました。
インドに行って2週間有給を取った後ですし、会社の方々は私に厳しかったです。
まだ双極性障害の診断ではなく、うつ病の診断でうつ病の薬を飲んでいたのですが、
その事を言えなくて...
言っていればクビにはならなかったのかもしれません。
今度は、職探し。
実家には無職では居づらかったです。
時間がありあまる私は、朝からずっと食べて吐いてを繰り返していました。
ここまで読んで下さってありがとうございました。
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