219海の底のダイヤモンド『不妊と双極性障害と糖尿病の日記』

双極性障害を抱え不妊治療を乗り越えた糖尿病ママの日々を書いています。

母子戦争5年間の戦いで...

皆さん、おはようございます。

今日も暑いですね!

毎日暑いので、溶けてしまいそうです。

水分補給はシッカリしましょうね~(^^)/

 

体調はほどほどに良く朝から丁度良いテンションでいます。

 

台風の時は、神経が丸裸にされているような感覚でピリピリソワソワしたり、逆に重たくて息苦しくなって動けない日が続いていました。

気分の急上昇や急下降を繰り返し、疲れました。

また、過食嘔吐の波とも戦いました。

 

 

昨日は、母の更年期と、私の遅く来た思春期の始まりについてお話させていただきました。

思春期というより、反抗からの摂食障害ですね。

躁鬱も始まっていたと思います。

 

この頃に、病気と知り、病院に行っていれば、双極性障害にはならなかったのかな...と思います。

 

悔やんでも時間は戻らないけれど、家族はこの頃、個々にみんな自分の事で精一杯だったんだと思います。

 

父はバブル崩壊の爪痕が後を引き会社が経営不振で朝から晩まで資金集めに頑張っていたし、母はツラい更年期障害とひとり戦っていましたし、妹は、妹で、学校やバイト先で色々あったみたいです。そして、妹は家に帰って来ない日が多くなっていました。

 

家族、バラバラですね。

 

母の場合、更年期障害のお薬を病院でもらっていれば、ツラい症状が緩和したと思うのですが、いくら「病院へ行って」とお願いしても、

「病人扱いしないで!!」と怒るだけでした。

 

何度、この事で、喧嘩したかわかりません。

 

更年期障害についてはこの時代もメジャーで知れ渡ってましたのでアドバイスしたのですが届きませんでした...

 

母親が安定していれば、私ももう少し、まともだったかもしれません。

 

人のせいにしてはいけないけれど、更年期症状の強くでている母は異常な人という感じで、いつも興奮していて、近寄れば、喧嘩を売ってくる感じでした。

物を取りに行くことも困難になりました。

物に凄く執着するんです。特に食べ物に。

 

1階にお風呂があるのですが、お風呂に入るのは、父と母が寝静まった24時過ぎでないと入れません。

母と顔を合わすと、必ず喧嘩が始まるので時間を調整していたのです。

 

寝る前にお風呂に入ると、目が覚めてしまって、寝るのはいつも夜中の2時、3時で、起きるのが朝6時だったので、睡眠時間はいつも3~4時間。

 

睡眠不足でした。

 

食べ吐きの摂食障害、寝不足...これが3年続いたある日、もともと便秘だった私ですが、おならも便も一切、出なくなりました。

 

1週間、2週間...便秘薬をどんどん増やして8錠飲んでも腸はびくともしません。

 

腹筋をしたり水分も多くとったり...

3週間目あたりで、便秘薬10錠飲んでみました。

 

すると、通勤電車の中でやっと激痛の便意をもよおして、途中で電車を降りました。

 

でも、水様便が少ししか、出ません。

 

何かおかしい...

 

そのまま会社に行き、妊婦さんの様になったお腹を隠しながら制服に着替えました。

制服のチャックも、もう閉まりません。

 

仕事中も何度か、水様便はでたのですが、スッキリはしません。

 

次の日の朝、病院へ行くことにしました。

 

レントゲンを撮り、診断は、腸閉塞でした。

 

すぐに、点滴2本と浣腸と絶食が始まりました。

 

1週間、病院へ通って点滴してから会社へ行きました。

朝イチで病院へ行って2時間点滴で、会社に着くのはお昼前でした。

 

「1週間点滴...入院にならなくてよかった」

と思いました。

 

入院ギリギリだったみたいです。

 

自宅に帰って家族にその事を伝えてもみんな、反応が薄くてガックリしたのを覚えています。

少しは、気にかけてもらいたかったからだと思います。

 

1週間が過ぎ、腸閉塞が一旦治ったのですが、次の月、生理の時に、またなりました。

そのまた次の月も、そのまた次の月も...

腸閉塞ってクセになるみたいです。

 

だんだん、体が弱ってきて、会社も休みがちになりました。

 

家で、休んで寝ていると

「働かないで何で寝ているの?会社はどうしたの?」と母はとがめて来ます。

 

状況が分かってないのでしょうか?

事情はお話してあるけれど、理解していないんですね。

 

仕方がないので、私は、無理やり会社へ行きました。

 

ガリガリになっていて、制服もブカブカ、貧血で倒れた事も何度もあります。

 

仕事どころじゃありません。

 

会社の先輩から「少し休職したらどう?」と提案がありました。

 

ありがたかったけれど、家には居場所がなかったから、そんな状況でも会社に行き続けました。

 

「そうだ!家を出よう!」

そう思いました。

 

更年期の母親とのバトルが始まって5年...身も心もボロボロでもうこれ以上一緒にいられないと思ったからです。

 

一緒にいたら生命の危険さえ感じていました。

 

そんなある日、ネットの掲示板で(今のSNSみたいなもの)シェアハウスの募集を見つけました。

 

私は、それに興味を持ち、調べ始めました。

 

ひとり暮らしは経済的な負担が大きかったからです。

 

ネットが私の人生を変えようとしていました。

 

家を出るためにやっと動き出したのです。

 

さあ、居場所探しの始まりです!

 

 

 

いつも誤字脱字が多くてすみません。

頑張って書きますのでまた宜しくお願いします。

 

読んで下さって ありがとうございます!

 

良い一日でありますように...

 

 

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