219海の底のダイヤモンド『不妊と双極性障害と糖尿病の日記』

双極性障害を抱え不妊治療を乗り越えた糖尿病ママの日々を書いています。

更年期の母親&遅れてきた思春期

 

おはようございます。

今日は、台風もすぎさり、体調も良い方が多いのではないでしょうか?

でも、残暑が厳しいので気を付けたいですね。

 

昨日は高校の時、イジメに合い何とか卒業出来て短大へと進学しましたが病んでしまったお話をさせて頂きました。

 

頑張ったのは自分も進学したかったし、両親の希望もあったからです。

「進学したかった」というよりか、両親が希望していたから私は進学したのかもしれません。

 

私は長女で、幼いころから、「両親に褒められたい」「認められたい」と常に思っていたいわゆる「いい子」でした。

だから進学を選んだと思います。

何かを勉強したいという訳でなく、入れる学校ならどこでも良かったのです。

ただ、「褒められたい一心」それだけ。

学費もったいなかったですね。

 

その「褒められたい」という思い癖が嫌になり、「変わりたい」と思い出したのは高校卒業してからなので、反抗期とか思春期がだいぶ遅かったんだと思います。

 

19歳の頃、思春期と母親の更年期が重なり家庭内が戦場と化しました。

 

私は食べ吐きの摂食障害や夜遊び、そうかと思うと、体が動かなくなって塞ぎこんだり...

 

バイト先がスーパーだったので割引価格で食品をたくさん購入することができました。

食べ吐きするのがバレていたので、私の食事の用意はありません。

 

冷蔵庫にさわれば、母親が「何やってんの!!」と凄い形相で飛んできます!

仕方がないので自分の部屋に小さな冷蔵庫を1台購入しました。

 

とにかく、この頃は、「食べて吐く事で生きれていた」感じです。

食べている時が一番幸せで、寂しさ、空しさ、イライラを忘れられて幸福でした。

でも、パンパンになると罪悪感でいっぱいになるんです。

そして、リバース。

自分の嫌なお腹の中の汚いものを吐き出すつもりで吐いていました。

それで、スッキリしたつもりでいました。

 

自宅は2階建てで、母親達は1階にいて、私は2階でいつもリバースしていました。

けれど、音がしていようで何度か両親に怒鳴られた事があります。

私は、恥ずかしくて仕方ありませんでした。

 

しばらくは、お金がかかるけれど、ファミレスや公園で食べて、公衆トイレでリバースしたりしていました。

それだけ、過食嘔吐にのめり込んでいました。

そうでもしないと、自分が保てなかったのです。

1日1回が2回、3回と増えて多い時は5回くらいの時もありました。

 

こんな状態でも、周りも私も病気とは気づきませんでした。

 

ただ、「ダイエットしている変な人」としか見えてなかったのです。

 

この頃、身長は151cm、体重は34kgでした。

見た目は、細めのマラソン選手くらいでしょうか…

 

私は、ひとりで悩んでいましたが相談する人がいなかったので一人思い悩む日が続いていました。

 

今だったら、テレビやネットですぐ病気だって分かるんですけれどね。

私が、10代、20代の頃は、まだ「摂食障害」が知れ渡っていなかったのです。

 

そのうち、歯医者さんで、「エナメル質が解けていて前歯の裏が大変なことになっているよ。お酢でものんでいるの?」と聞かれるようになりました。

きっと、過食嘔吐による胃酸が原因だと思いましたが、「お酢を飲んでいます」と答えました。

歯にも影響が出てきました。

 

お金もつき、また、自宅で過食嘔吐するようになりました。

自宅で過食嘔吐してない時も母親は私の分だけ食事を出してはくれませんでした。

 

冷蔵庫だけでなく台所にも入れてくれなくなりました。

 

何をするにも私が近くによると、息を荒上げて「フガフガ」異常です!

イノシシみたいな闘争心まるだしで、目つきも危なくて話しかけられません。

食物を守る闘争反応みたいな...

 

こちらは、取るつもりはないのに、取られるって思っているんですね。

私に「食べて吐かれる」って。

 

この頃、母親は、4人家族に対して、10人前くらいの食事をつくるようになっていました。毎日大量の食事が余って腐っていきました。

菓子パンも買いだめするのかが好きで、大量のカビた菓子パンの山がありました。

冷蔵庫もパンパンになっていました。

 

母が出掛ける時、もったいないので、前の晩に余ったものを過食嘔吐しました。

でも、それがすぐにバレて家中を追いかけ回され頭をつかまれました。

「食べたでしょう!今日食べようと思っていたのにどうすんのよ!」

 

今夜食べるなんてウソです。

毎晩、みんなの分、大量につくるはずです。

それが趣味ですから...

 

昔から、少し多めにご飯をつくるタイプの母親でしたが、ここまで大量につくるようになったのは、私が過食嘔吐になってからです。

 

でも、私には分け与えません。

 

この心理は複雑です。

「取られちゃいそうだから、いっぱい作っておこう、でも吐くからあげない」でしょうか?

 

私が20歳の頃、Windows95が発売され、インターネットが世に出ました。

 

それから、私の世界が変わりました。

検索ができるようになったからです。

 

そして、色々な物事があることに気づいたのです。

 

この事で少し、過食嘔吐も落ち着いてきたんです。

 

そんなある日、

「パソコンばかりやっているんじゃないよ!!」

と母親が怒鳴りこんできました。

長い棒を持ってパソコンを叩き出しました!

バイト代で買ったパソコンです!必死に守りました。

 

何が気に食わなかったのでしょう...

 

当時、携帯がなく、ポケベルの時代、電話は家電でした。

ポケベルで、「今から電話するね」と連絡してから電話が来る感じでしたが、

イチ早く、母親が電話に出てしまい、切ってしまう始末。

仕方なく、こちらから掛けると

「電話代がかさむから電話代払いなさい!」と請求されました。

 

私が、楽しんでいる姿が嫌だったのかもしれません。

私の行動すべてが受け入れられない。

当時、最先端の事を取り入れた私が羨ましくて憎らしかった。

 

そんな感じでしょうか。

 

今は、パソコンやスマホがあるから好きな時にパッと検索できるし、世界も広がるし、連絡も取れてこんなトラブルないですよね...

 

こんな古いエピソード、分からない方も多いかもしれません...笑

 

母親と長女って難しいと言うけれど、こじれてしまうとこんな風にまでなってしまうのですね。

 

私は就職氷河期の時代でしたのでなかなか就職先が決まりませんでした。

そのことでも罵倒されました。

がんばって就職活動していたけれど、コネでもなければ、なかなか難しい時代だったのです。

 

4月の中旬になり、中小企業に就職が決まり、一安心。

でも、環境が変わったことで過食嘔吐はまたエスカレート。

 

夕飯は、近くの祖父母の家で摂る事となりました。

温かくてヘルシーで素朴な夕食...

久しぶりでした。

 

祖父母に感謝です。

 

今日も残暑が厳しいですが体調に気をつけていきましょう!

また宜しかったら遊びにきてくださいね。

ありがとうございました。

良い一日でありますように...

 

 

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