219海の底のダイヤモンド『不妊と双極性障害と糖尿病の日記』

双極性障害を抱え不妊治療を乗り越えた糖尿病ママの日々を書いています。

私の生きづらさの原因について

本当に生きづらい...

 

小学校の3年くらいからそう思っています。

その位のころから、人間関係が難しいと思い出しました。

女子特有のグループの人間関係です。

それは、その時だけとおもっていたけれど、ずっーと続いて今も付いて回っている。

 

社会に出れば、当たり前のことだけれど、生きづらい。

上手く立ち回って、色々と切り替えて立ち回れる人と違って、私は、小さなエピソード

をずっと何日も引きづってずっと頭の中をグルグルモヤモヤしてしまう。

 

お薬を飲みだしたのは、30歳過ぎてから。

気づくのが遅かったです。

 

小学校から、異変はあったんだと思う。

劣等感を隠すために、何でも積極的にやって、クラスの学級委員にもなった。

小学校、中学校、毎回5年間やりました。

 

誰にも何も言われないようにクラスの中心になりました。

それは、中学3年まで続きました。

かなり無理をしていたと思う。

でも、今と違って、若かったから体力とノリで乗り切った感じがします。

 

しかし、高校に上がるとその仮面は剥がれました。

高校で出会った人たちは、みんな、もっと大人だったんです。

 

今までの常識が通じなくてうざったがられました。

 

ある日、何かのきっかけで、グループ内で仲間外れが始まりました。

具体的な理由は今も分かりません。

突然です。

私が輪に入ると、みんなどこかに行ってしまうのです。

いわゆるシカトです。

それは、見る見る間にクラス全体に広まりました。

シカトはツラいです。存在が消えてしまうんです。

 

私は、意味が分からず、聞きやすい人に直接聞いたり、お手紙を出してみたりしましたが、「自分で考えな」とか「分からない」としか返ってきませんでした。

それが、1年半続きました。

 

私は、すっかり人間不信になってしまいました。

学校に行くにも大変で毎朝、吐き気と頭痛と戦っていました。

家族からは毎朝、「頑張りなさい!」のエール...プレッシャーでした。

しかし、両親に応援されるのと進学したいという強い気持ちがあったので、休まず通い続けました。

 

通学途中は今日こそ「どうして避けるの?」とか「何で聞こえるように悪口言うの?」って聞いてやろうと思うのですが、いざ登校してみると言えません。

 

移動教室の時と体育の授業のとき2人組になる時が一番ツラかったです。

学校に行って誰ともしゃべらないで帰ってくる日々が続きました。

 

その時、私を支えたのが、ファッション雑誌でした。

 

休み時間など、一人きりになります。

一人が恥ずかしいので「私は、雑誌を読んでるから一人なのよ」と周りにアピールしたかっんです。

雑誌の内容など何も入ってきません。

「周りが何を話しているのか?」

「私を笑っているんじゃないか?」

そればかり気になっていました。

 

この時期、勘繰りが始まったのだと思います。

 

高校まではだだのうつ状態だったと思います。

 

イジメを経験すると強くなる人と、病気になってしまう人の違いは何なんでしょう?

 

きっと、脳内のホルモンのバランスが崩れるとか家庭環境が影響したり、色々な要素が絡み合っているのではないのかなって思います。

 

躁状態が出だしたのは、高校卒業してからだと思います。

短大生から気分の浮き沈みが激しくなったんだと思います。

 

急に親に向かって激高したり、夜、クラブに遊びに行き始めたり、そうかと思うと、体が動かなくなったり...

 

この頃、摂食障害も始まりました。

 

母親も更年期障害の真っ最中に突入し、毎日ケンカしていました。

 

食べ吐きはバレていたけれと、怒られるだけで病気とは思ってくれませんでした。

母親は食べ物を隠すようになり、私は自分のバイト代で大量の食べ物を買うようになりました。

気分の浮き沈み、食べ吐き...どうみても異常なのに家族全員ノータッチ。

 

私は恥ずかしかったので誰にも言いたくなく隠したかったので、治療は遅れました。

 

結婚が30歳だったのですが、それを機に主人が病院へ連れて行ってくれるまで、誰も私が病気だとは思っていませんでした。

 

ただ、「ダイエットしているワガママな人」としか見てもらっていなかったのです。

だから、主人には感謝です。

 

最初の病院では、5年くらい、ただのうつ病で治療していました。

投薬のトラブルがあり、転院した病院でも、うつ病でした。

いっこうに良くならないので、大きな病院へ行ったら、そこで初めて双極性障害と診断されました。

そこまで、7年かかりました。

やっと、適正なお薬と量を出してもらえるようになり、また就労できるまでに回復しました。その時、投薬しながら不妊治療もしました。

 

双極性障害をもちながら子供を持つという事」夫婦でたくさん話し合いましたが、やはり「二人で子育てすること」を選びました。

 

不妊治療をするにあたり、ツラい事の連続でしたが、幸福でもありました。

自然にできるのが一番ですが、不妊治療をできなかった状態からできるように回復したのですから嬉しかったです。

 

今も2人目欲しいですが、今は、糖尿病もあるし、薬の量が増えてしまっているので不妊治療はお休みしています。

チャンスがあればまた挑戦したいです。

 

体調が悪い時、子育てが大変に思う時がありますが、不妊治療の時の事を思い出すと、それは吹っ飛びます。

 

「私のところに来てくれてありがとう!」

という気持ちで子育てしていきたいです。

 

今、日常的には幼稚園のママ友さん達との距離感に悩んでいますが、ある一定の距離を保ちながらやっていきたいと思います。

近くなりすぎるとボロがでますから...

 

今日も読んでいただいてありがとうございました。

良い一日でありますように...

 

 

 

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