219海の底のダイヤモンド『不妊と双極性障害と糖尿病の日記』

双極性障害を抱え不妊治療を乗り越えた糖尿病ママの日々を書いています。

お薬を抜いてしまった代償

今日も鬱鬱しています。

久しぶりに、過食嘔吐の衝動がしていて、朝から水をがぶ飲みしています。

水をがぶ飲みすると、一時的に衝動が止まります。

でも、少しするとまたイライラしてきて胃の中に何か詰め込みたくなります。

過食嘔吐は何か、空しい時になる気がします。

 

私は19歳の夏に初めて過食嘔吐をしました。

「しました」というより「気づいたら食べ過ぎていて食べ物があふれてきた」という方が正解かもしれません。

はじめは、吐こうと思って詰め込んだのではなく、気づいたら食べ過ぎていて溢れてしまった感じでした。

 

この後、モヤモヤがスッキリして、病みつきになってしまいました。

これがキッカケで、過食嘔吐は20年くらい続きました。

 

今は、お薬で食欲を押さえているので何とかコントロールしている状態ですが、数日前の同窓会をきっかけにまたイライラモヤモヤが増していて過食嘔吐の衝動が起こっています。

どうにか乗り切らなければ...

1度許してしまうと、またクセになります。

 

さて、赤ちゃんを産んでから2年くらいお薬無しの状態で母乳を続けていました。

子供の離乳食が始まってもご飯に切り替わっても子供が欲すれば少し出ていた母乳をあげていました。

その方が、子育てしやすかったし、私も幸福感があったからです。

 

しかし、しばらくすると、躁状態が激しくなり、遊びに行っていた保育園の子育て支援センターに親子体操のサークルを立ち上げてしまったのです。

 

私は、先生を見つけてきて1回500円で親子体操を教えてもらうサークルの代表になってしまったのです。

凄い勢いでポスターを作ったり口コミしたりして、人が30人くらいすぐに集まりました。

 

運営するのに、何人か親しくしていたママさんに役員になってもらいました。

でも、私は、仕切りすぎたり、時には、引きすぎたり不安定になってきました。

 

コミュニティーセンターのお部屋を取る役が一番大変だったのですが、その役をしていた人が辞めてしまったり、次第に役員の仲が険悪になってきました。

 

結局、先生もやる気をなくしてしまって、自然消滅してしまいました。

 

私は、とても落ち込んでその後、アルコールに逃げてしまいました。

人間不信にもなりました。

 

「ママ友」っていうくくりは好きではなかったので、普通の「友達」として見ていたのですが、相手はどうやらそうではなかったのだとショックを受けました。

 

毎日、遊びに出かけていた保育園の支援センターにも足は遠のき朝起きてから夜寝るまで、缶酎ハイをずっと飲んでいました。

ずっと、酔っている状態です。

嫌な気分を麻痺させたいし、誰にも会いたくないのです。

誰かに会うのが怖くて買い物にも行きたくありませんでした。

ネットスーパーを良く使って生活していました。

 

子供はまだ2歳。私が酔っていることなど分かりません。

酔ってないと涙がでてくるので、笑顔でいるためには飲むしかありません。

 

家事などもほとんどしなくなり、主人がしていました。

子供は、YouTube漬けで私はアルコール漬けの毎日。

 

私は糖尿病があるので、「無糖の缶酎ハイならいいや」と勝手に思い込み、食事はとりませんでした。

本当はアルコール事態いけなかったのですが...

 

でも、こんな状態でも子供には食事を与えていました。

 

子供に何かしてあげたい気持ちとできない私がいてどんどん落ち込んでアルコールにハマっていきました。

アルコールが切れると不安になるので、主人に買ってきてもらったりもしました。

 

そして、夜になると、些細なことで、錯乱して主人と口論になり外に飛び出して徘徊したり...

主人は車で私を探しに来て強引に車に押し込んで連れて帰ったり...

口論の後、死のうとしたこともあります。

そんな事が何度とありました。

 

スマホなどをなげて壁なども穴がたくさん空いてしまいました。

 

日に日に乱れていくので、ついにメンタルクリニックに行くことになりました。

以前、お世話になっていた病院の医師には母乳の件で薬を放棄して気まずかったので行かず、新しいクリニックに行くことにしました。

そこは、親戚の紹介だったので安心して行けるという理由もありました。

 

初診の日、まずは、お薬手帳で以前飲んでいたお薬をみせました。

すると、血糖値に影響のある薬だと言うことが分かりました。

1から私に合うお薬を探すことになりました。

紹介状もないので、私の今までの状態も分からなかったので先生も大変だったと思います。

 

こうして、母乳育児の代償を払わなければならなくなり再度、メンタルの治療を開始することとなったのです。

 

子供と私のために母乳が良いと思ったのが、子供に母親の醜い姿を焼き付けてしまった事、後悔します。

たまにですが、子供が急に思い出したように、

「2歳の時、ママ、泣いて騒いで外に出て行っちゃったよね?」って言います。

 

相当、強烈な思いをさせてしまったのだと後悔しています。

子供が精神にダメージ受けて無い事を祈るばかりです。

 

今日も読んで下さいまして有難うございました。

また遊びにきてくださいませ(#^.^#)

 

 

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