躁鬱状態の爆発
おはようございます。
昨日は、雨が降る予報だったのですが、ずっとカンカン照りでした。
夕方になって少し涼しくなって助かりましたが、皆さん、体調は大丈夫でしょうか?
私は、夕方になると、ドッと疲れが出て来て、顔がお婆さんのようになってしまうようです。
娘にそう言われてショックを受けました( ;∀;)
物事をハッキリ言う子です...笑
さて、昨日は、自分を変えるためにインドへ行く事にしたお話まで致しました。
その続きです。
私は、女友達と2人でインドに出発する事にしました。
現地で都内で知り合ったバックパッカーさんのグループが待っている事になっていたので安心していました。
日本を出発するまで、メールでやり取りをしていました。
しかし、出発する前日から突然、返信がなくなってしまったのです。
私たちは心配になりましたが、もう引き返す訳には行かないので、約束通り、現地のネットカフェでまたメールをする事にしました。
飛行機を乗り継ぎムンバイ経由でゴアに行く予定です。
ムンバイは都市でホテルもタクシーも予約してあったので平和に過ごせました。
友達のバックパッカーさん達が居るのはゴアというリゾート地です。
ムンバイはインドの北側で、ゴアは南側なので国内線で移動です。
ムンバイで一晩過ごし、次の日、慌ただしく国内線でゴアに到着しました。
ネットカフェを探しましたが、周りには何もありません。
ムンバイと違ってゴア空港周辺は何もありません。
飛行場の職員の人も片言の英語の日本人の言うことには取り合ってくれません。
バックパッカーの友達と連絡が取れなくなってしまって、さぁ大変です!
今の様にスマホなんてない時代です。
連絡手段が限られています。
仕方がないので、友達2人とタクシーを捕まえて町に出て、ネットカフェと今夜の宿を取る事にしました。
タクシーを捕まえるのも一苦労しました。
降りる時、「50ドル」と言われ、ビックリ!
高すぎるので「50ルピー?」と聞き返しましたが、
急に声を荒げて「50ドル!!!!」と迫られました!
私たちは、身の危険を感じて怖くなって支払ってしまいました。
そして、ネットカフェはまだ見つからず、とにかく宿を先に探すことにしました。
近くに、綺麗めな宿があったので1泊することにしました。
やっと、荷物をおいて、すぐにネットカフェを探しに町に出かけました。
すると、白人の方や日本人らしき人達がちらほらいます。
しばらくすると、日本人の20代の女の子2人組が話しかけてきました。
女の子達が「良かったら、今夜、一緒に飲みませんか?」と誘ってきました。
私たちは、気が張り詰めていたので、かなり安心して、その誘いに乗ってしまいました。
もう、時間は、夕方です。
ネットカフェの場所を聞いたけれど、知らないと言われたので、また明日探せばいいと思い、その日の夜は、その女の子達と過ごす事にしたのでした。
事情を話したら、代金は支払うので先ほどチェックインしたホテルをキャンセルして一緒に泊まりませんか?と提案してきました。
私たちは、何て親切な旅慣れした人達なんだろうと感謝しました。
そして、チェックインしたホテルを出て、タクシーで、その女の子達のお部屋に伺うと、日本人の男の子2人と、白人の男女、現地の男の人2人がいました。全部で10人入っても余裕がある広いお部屋です。
パーティーでもしてるのかな?と不安になりました。
女の子2人だと思ったから来たのに変だな...と最初は思ったのですが、もう引き返すことはできず...そのまま、飲み始めてしまいました。
初めは警戒していたのですが、みなさん、親しみやすく、外国人の人たちも日本語が上手です。
英語は殆ど使いませんでした。
時間が経つにつれて、お酒もすすんできて場に慣れてきました。
話によると、みなさんもバックパッカーさんだと言うことでした。
女の子2人は神戸出身で社長令嬢の姉妹だということ。
私は、その話を信用してしまいました。
そのうち、急激な眠気に襲われ、意識を失いました。
気づくと朝で、女の子達はいません。
いるのは、一緒に来た友達と私と現地のインド人の男性2人です。
私たちは怖くなって、「女の子達はどこへ行ったのか?」と尋ねました。
すると、リーダー格の男が「ちょっと、シャワー」と答えてきました。
すぐに、ウエストポーチを確認すると現金がほぼありません。
全部は取らず、少し残してある感じです。
でも、思い違いかもしれません。
疑いなので、何も言わず、我慢していました。
そのうち、知らない白人の男女が出入りして英語で何か話しています。
早口で何を話しているか全然聞き取れません。
でも、私たちについて話しているみたいでした。
しばらくすると、女の子たちがシャワーから帰ってきて
「両替に行くけど、行く?」と言いました。
私は、怪しいなと思ったけれどほんの少しのルピーと、円しか持っていなかったので、一緒に両替に行く事にしました。
もう一度、ウエストポーチから現金が無くなっていたら誰かが盗んでいる...
確かめるためにも行きました。
疑ってモヤモヤしている自分が嫌でした。
まさか、面と向かっては聞けません。
バックパックにパスポートやクレジットカードなど大事なものを入れていたのですが、鍵が掛かっていたのでそちらは安心していました。
しかし、両替に行く前に女の子たちが、
「バックパックの中に何か貴重品あると、バックパックごと持って行かれると困るから金庫に預けて行かない?」
と言ってきて、私たちは信用して金庫にパスポートとクレジットカードを預けて両替に出かけてしまいました。
この事がのちのち問題になります。
帰って来ると、何事もなく、女の子や現地の男の人達と観光地を巡ったり、買い物をしたりして、過ごしました。そして、色々、語りました。
この頃になると、友達のバックパッカーさん達との連絡を取る気力が無くなっていました。
何日かして、夜、BARにも連れて行ってもらったりもしました。
やっぱり、盗まれたなんて気のせいだったんだな...と思ってました。
毎日、色々な人たちと触れ合ったりしました。
その中で、「いつ来たかもう忘れた」という30代くらいの男性と出会いました。
私たちに哲学的な事をずっと話してくれて、為になったのを覚えています。
でも、その旅行の日々の裏で、着々と悪い事は行われていたのです。
私たちが帰る前日に突然、女の子達が姿を消して、他の外国人の人たちの姿も見なくなりました。
挨拶もなく変だな...寂しいな...そんなことを思っているのもつかの間、食事から帰って来ると、パックパックの中が荒らされていて、シャンプーなど日本製品の物は盗まれていました。鍵が掛かっているところは無事でした。
消えた女の子達が宿の代金を全額支払って行ったと、現地の男性たちは言っていたのですが、私たちが帰る日、宿を出ようとしたら、宿の人に呼び止められ、私たちがあの部屋の分、全額支払う事になりました。
そして、空港までのタクシーを先払いで宿の人に呼んでもらったのですが、タクシーを降りたら、タクシーの運転手さんは料金を貰っていないと言います。
誰がウソをついているのか分かりません。
日本語は通じないので片言の英語で訴えますが、空港のタクシーの運転士さん達に取り囲まれてしまい、あえなく支払うハメになりました。もう、残りのお金はありません。
水を買うくらいしか所持金はありませんでした。
結局、友達になったバックパッカーさん達とは、日本に帰ってきてからも音信不通で、消息は不明です。
帰ってきて、しばらくすると、クレジット会社からキャッシング8万円の請求が来ていることが分かりました。使われた場所はインドです。
使った覚えはありません。
実家の母に聞くと、夜中にクレジット会社から電話があって「インドで使用の形跡がありますが宜しいですか?」とクレジット使用の許可の電話があったから許可したと言うのです。
友達も同じようにやられました。
きっと、両替の時、金庫に預けた時にやられたんだと察しました。
私は、自分を変えるため、何かを見出すためにインドに行く決意をしたけれど、まだ行く準備が整っていなかったと反省しました。
日本とは環境が違うとは分かってはいたけれど、本質的には理解していなかったのです。
気を付けていたけれど、まさかここまで...という感じでした。
警戒レベルが違いました。
私は、当時、日本人の男女を含んだ詐欺グループがいる事を知りませんでした。
きっと、どこの世界にもそういう詐欺のグループは存在していて、狙われたらひとたまりもないのでしょう。
仲間に日本人がいるから巧妙です。
私は、しばらく、誰のことも信用できないようになってしまいました。
もちろん、躁鬱状態はより一層ひどくなり、何かが壊れたようでした。
勘繰りも酷くなり、道端ですれ違う人すら疑いました。
過食嘔吐も過去最悪!!
4年間、間借りしていた部屋にも居られなくなりました。
彼の事も信用できなくなり、波乱の末、別れることになりました。
当初の目的と反対になる結果となってしまったのです。
良く変わるのではなく状況悪化してしてしまった感じです。
そして、急に居場所がなくなった私は、実家に帰るしかなくなってしまったのです。
もう、身も心もボロボロで、闇の極地でした。
こんなお恥ずかしい話ですが、10数年経ってやっと傷が癒え、心の整理ができたので、この事を「体験談」としてブログに書こうと思いました。
今を生きる教訓になっています。
ここまで読んで下さり有難うございました。
良い一日でありますように...
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